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個別記事の管理2011-02-10 (Thu)
哲学っておもろい。雑学っぽいねんけど、こういう考え方もあるのかって楽しくなる。
そんな哲学初心者が語る楽しくなる(?)哲学

第1-1回 死後の生は可能か

身近な人間と死別することは悲しい経験であると同時に、今までいた人がいなくなるという不思議さを感じさせる経験でもある。「死んだあの人は今どうしているのか」、「人間は死んだあとどうなるのか」、「自分は死んだ後どうなるのか」と人類は、昔から問いかけてきた。

色々な宗教がこの問いに対しそれぞれ違う答えを与えている。

1.仏教の場合
仏教は*1輪廻(転生)即ち(人は何度も生まれ変わって生死を繰り返す」という考え方があった。*1輪廻=生まれ変わり
仏教では、人間は死んだ後、生前の行いの善悪に応じて、天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道などの
六道を輪廻すると考えられてきた。ただし、自らの悟りや仏の慈悲によって輪廻から抜け出す事ができたら、六道ではなく、極楽に生まれ変わり、もう輪廻することはない、と考えられている。
六道輪廻

ここで仏教が面白いのは生きる事が苦痛だということ。
その由来に四苦八苦という言葉がある。
え?天道や人道やったら幸せやん、って思うけどそこにも苦痛がある。
天道だったら年老いて死ぬ苦しみ。人道やったら言わんでも分かるな。
ちなみに餓鬼道や地獄道みたいな下ーの方の道は寿命が長いらしい。
勿論地獄道は肉体的な苦しで、死ぬ痛みを1回だけじゃなく、何千年、何万年と繰り返す。詳しくは「往生要集
最悪や死んでも苦しむってwよう出来とるよな、生前の行いで区分けされるんやから仏教を信じとったら悪い事せん。


まぁ仏教の何が凄いって、六道ってのがある時点で仏に祈らずにはいられないって事やな
結局は仏の慈悲でしか極楽(これ以上死ぬ事ない場所)に行けへん。死んでも苦しむんやったら!って仏にすがる。ほんま釈迦は凄いで。

2.キリスト教の場合

これは仏教に比べると至極単純。
キリスト教は人生は1回限りだと考えている。
578aa0b9.jpg
簡単に図を説明すると、キリスト教において世界は神が創ったと考えられている。
そして個の生が誕生し、そして死ぬ。当時の土葬がそうであったように、死とは眠りと考えられていた。
ちゃんと死体は残っとる、な。
死者はこの世の終わりまで眠り続け、そして最後の審判を受ける、この時生前善い行いをした善人は天国へ行き、悪い行いをした悪人は地獄へ行く、そして仏教のような輪廻はせず、永遠に天国か地獄で過ごす事になる。
ただキリスト教の悪い行いってのが現実的に微妙でね、キリスト教を崇めない=悪い事っていう意味なんや。
要はクリスチャンを止めたらあかん。いやそもそも止める事ができん。
いったん洗礼を受けて、クリスチャンになる。それは神が「お救いになった」ということになる。いったん「救われた」人が、その後で再び「救い」からこぼれ落ちる、なんてことはありえないという教会の考えがあるねん。
聖書にもある通り、キリストの救いは完全(絶対)や。神の救いが、人の行いによって、取り消しになったりとか、理屈で通るわけない。いやそもそも宗教何てのが理屈やないんやけど…まぁええ。
まぁ仏教に比べてあっさりしよる、西洋人らしい考えや。

3.儒教の場合
儒教も輪廻を否定している。儒教は個人の生命よりも先祖から子孫への血のつながりを重視している。
日本にも因果応報(善因善果)悪因悪果 自因自果っていう言葉の通り、善い事をしたら必ず報われる、悪い事も同様に。
でも儒教の言葉に「積善の家に余慶あり」ってのがあってね。
先祖の作る報いが子孫に生じる。
自分が悪い事をしたら子孫にまで与えてしまうって事。面白いな、自分という個の存在じゃなく子に害を与える、
という事なんやから。よう考えとる。

4.日本の習俗にあらわれた考え方
お盆がそうやな。迎え火や送り火などあるやん。詳しくは柳田国男の民俗学
日本では先祖の魂は盆の間にやって来ていると言われてる。迎え火ってのは先祖の魂を迎える為のもの。
送り火ってのは帰す為のものやね。え?魂がやってくるねんってどこからやってくるねんって。
死者の魂は、故郷のすぐそばの山の頂上などにある。という話がある。昔から先祖が見守ってるとかいうのはそういう意味での言葉かもしれんね。








初哲学みたいな挑戦してみたけど、どうなんやろ。いやそもそも哲学と宗教は全く別もんやけど
宗教の方が興味を持ちやすいと思って。
まぁ続くか分からんけど、楽しみにしてる人がいたら続けます、多分。
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